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北欧神話の源流 エッダ 

熱き氷の島 アイスランド

アイスランドは、大西洋中央部の北極圏近くに位置する10万平方kmほどの島で、
その名の示すように島の面積の10%以上が氷河におおわれている。
また、島そのものが大西洋中央海嶺の一部であるため、火山活動が非常に活発。

古くは“テュレ”と呼称されており、ほぼ無人島であった。
そこへA.D.874に、ノルウェー人インゴールヴが眷属を連れて島の南西部あたりに入植した。
その地は“レイキャビク”と名付けられ、現在でもアイスランドの首都であり、
島の人口約20万人のうち半数以上が住んでいる。

エッダ[Edda]

元来は13世紀に、文人,学者かつ政治家であったスノリ・ストゥルルソンによって
書かれた詩学入門書のタイトルであり、以下の三部で構成される。

☆第一部:ギュルヴィたぶらかし [Gyfagining]
  古詩を引用して北欧神話の概要をのべたもの。

☆第二部:スカルドの語法 [Skald skaparmal]
  スカルド詩を引用してケニングの説明。
  ケニングというのは北欧独特の比喩表現で、
  例えば、黄金のことを“蛇の臥所”,“シフの髪”などと言い換えること。

☆第三部:韻律一覧 [Hattatal]
  ノルウェー王ホーコンを称えた102篇の詩。
  それぞれの詩で異なる韻律を用いており、詩形の見本となっている。

エッダという名の由来は、諸説あり。
 1)“祖母”の意。
 2)“詩学”の意。
 3)彼が育った地である“オッディ”にちなんで。

スノリ・ストゥルルソン

[Snorri Sturluson 1179-1241]
ストゥルルソンは“ストルラの息子”の意。
当時のアイスランドには、姓の習慣がなかった故の呼称。
エッダの他にも、“ヘイムスクリングラ”という北欧古代史に関する著作なども書いている。
彼は政治家として活躍し、法の宣言者に二度就任している。(A.D.1215,1222)
“法の宣言者”というのは、アルシング(島の議会)における議長職であり大統領のようなもの。
また、彼は3歳の頃に、学園都市オッディの領主ヨーン・ロフトソンのもとに預けられ、
以降24歳まで、この地で育ち,学んでいた。
為に、エッダの名の由来はこの地名えあるという説があるが、真偽の程は定かではない。

セームンド・シグフクソン

[Saemund Sigfusson 1056-1133]
アイスランド人として、フランスのパリ大学に留学した最初の人であり、
帰国して島人として最初に著作を著した人物。
彼は島の南岸近くのオッディと呼ばれる地に住み着き、学校を設立した。
のちにこの地は島の学芸の中心となる。

Codex Regius (王室写本)No.2365

A.D.1643、アイスランドのスカルホルト司教区において、
ブリョニヨルヴ・スヴェインソン司教が農家の納屋より、
二十九篇の神話詩と英雄詩から成る古文書を発見した。
この古文書はフレデリック3世の命で保存され、
わりと最近まで、コペンハーゲンのデンマーク王立図書館に収められていたが、
独立したアイスランドの要求により返還され、
現在は、アイスランド大学において所蔵されている。

その後、似たようなタイプの他の詩篇・断章も発見された。
アルナマグネアン写本、ウォルシアヌス写本、フラット島本など。
これらも含めると全部で四十篇近くになる。

古(旧)エッダと新エッダ

スヴェインソン司教によって発見された詩篇は
スノリのエッダにおいて引用されている古詩と同内容の為、
原本とみなされ、「古(旧)エッダ」と呼称される。
それに伴いスノリの書いたそれは「新エッダ」と呼称。
もっとも、実際はスノリは彼自身で古詩を蒐集しており、
この文書を直接参照したわけではないだろう。

また、「古」は詩の形式、「新」は散文形式で書かれているため、
それぞれ、「詩のエッダ」、「散文のエッダ」とも呼称されている。

さらに、スヴェインソン司教は「古エッダ」の編者を
12世紀のアイスランドの学者セームンド・シグフクソンとした為、
「セームンダル・エッダ」と呼称されたこともあったが、
後の研究で彼は無関係であることが判明したりする。
一応、現在では10世紀頃編纂されたもので、編者不明とされている。


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